「立ちたさ_」展 2017

「立ちたさ」 Barnett Newman と対峙 in Amsterdam
日時
2017年06月27日-07月08日 12:00~19:00(最終日~17:00/会期中無休)入場無料
会場
人形町ヴィジョンズ 日本橋堀留町 中央区 東京
クレジット
©2017 Barnett Newman Foundation New York /ARS,N.Y./JASPAR, Tokyo E2627
テクニカルサポート / 斉藤梅男
Special Thanks / 亀井 Liz 松永もうこ 宮塚真由美 竹田賢一 本江邦夫
リーフレット
会場で配布したリーフレットと掲示していた文章をご覧いただけます。 クリックしてください。
テキスト
Barnett Newmanの作品 「Cathedra」 絵の中のzipについて、2本の色あせた垂直線は目に見えない秘密の正方形の端に立つ歩哨のように、場所・領域を守っています。
byトーマス ヘスThomas Hess

Barnett Newman 作品「Cathedra」 広大に広がるウルトラマリンブルー、まず最初にぼんやりとした無限の感覚を見る人に喚起、しかしそれから見る人がzipに視線をむけるとこの感覚はすぐに消散します。
byアルミン ツヴァイテArmin Zweite

Barnett Newman 作品「Cathedra」 ヴァーチャルには観客を天のブルーに浸します。ロマン主義の伝統にいきわたっているブルー、限りないスピリチャルな領域を呼び起こし神が住む目に見えないところです。
by ロバート ローゼンブラムRobert Rosenblum

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Barnett Newmanバーネットニューマンの"Cathedra" わたくしが身体を張って連れてきております! ぜひ見に来て下さい☆ 8日まで。人形町ヴィジョンズ

みなさん最近、Sublime (崇高・崇高さ)は足りていますか??Barnett Newmanの"Cathedra"わたくしのゆっくり立つ行為とともに連れて来ています!ぜひ会いに来て下さい。

Barnett Newmanの作品Cathedraにも、 ほとんどの人が日常的におこなっている、立っている、立っていく行為にもきっとSublime(崇高・崇高さ)を感じられるはずです。たまにはそんなピリリとした空間、体験はいいかが?

期間中、伊宝田のツイートより (2017年7月2~5日)
コメント
東海亮樹(映画プロデューサー・共同通信社)
美しい対決でした。
本江邦夫(多摩美術大学教授)
Minimalでsharpなすてきな展示になっています。厳しいのにふしぎにあたたかです。
竹田賢一(音楽家・音楽評論家)
立ち上がるプロセスに照射される「カテドラ」の力を共に感じ得た気がする。
宮田徹也(嵯峨美術大学 客員教授)
瞬間を「直接」に産み出し、紡ぎ、生成するのはパフォーマンスというよりも伊宝田隆子の独断なのかも知れない。ダンスには物語がある。
舞踏は一度自己から離れなければならない。綿々と紡ぐ伊宝田のパフォーマンスとは、正に絵画を見るように見詰めなければならない。翻ると、今回のビデオはB・ニューマンの絵画こそが蠢めいた。では伊宝田はどうしていたのか。
繰り返すが、伊宝田が何を行為したではない。
瞬間を直接に産み出し、紡ぎ、生成した。絵画のように。
吉澤昭博
アムステルダム市立美術館に常設展示されているバーネット・ニューマンの大作《Cathedra》を背景に演じられたパフォーマンス《たちたさ》のドキュメント映像を人形町のアート・スペース「ヴィジョンズ」で観た。仰向けで水平に寝た状態の伊宝田さんが徐々に体を動かし、約1時間かけ完全に立ち上がるまでの姿を記録したものだ。
現代人の移動する特性をとらえ人類をホモ・モーベンスと称し始めたのは半世紀前である。モビリティーにこそ人間の価値があるとする時代の思想であり、今やあらゆる人々が世界中を駆け巡っている。観光客はもちろん、スポーツ選手、芸能人、政治家、ビジネスマン、軍人そしてテロリストまでも。しかし今回観た伊宝田さんのパフォーマンスにおける動きはモビリティーとは正反対のものであった。そこに見たものは、初めて目にしたとき理解できなかった《た・ち・た・さ》という言葉の意味、すなわち純粋に「立ち上がりたい」という垂直への意志であった。また、パフォーマンスという身体表現からしばしば表出するエロスはそこに無く、重力に抗してただ上に伸びようとする動きは、動物ではなく植物の意思表示のように見えた。
植物の蔓が何の手がかりもなくその長い触手を中空高く伸ばす姿に驚きと感動を覚えるのは私だけではないと思う。太陽に向かって成長する植物の先端はある法則に従ってねじれながら伸びるそうである。私にとって伊宝田さんの立ち上がり方はそのような植物の成長と重ね合った。するとその時忘れていたリルケの詩の一節が脳裏に聞こえてきた。『オルフェウスへのソネット』の晴れやかなはじめの一行である。
『すると、一本の樹が立ち昇った。おお、純粋な超昇よ』
展覧会場では、伊宝田さんが過去に行ったパフォーマンスの写真アルバムも拝見した。そこには過去の《たちたさ》がそれぞれ個性ある構成や演出で開催された様子が写っていた。観衆を前に行われた過去のそれらのパフォーマンスに於いて、多くの視線に囲まれて表現することにより、彼女は余計なエネルギーも放出していたのではないかと思われた。片や今回、観客のいない空間でニューマン作品《Cathedra》に対峙する荘厳な気配の中、伊宝田さんは純粋な《たちたさ》の磁場を創出させている。その映像からは、何の無駄なエネルギーの放出は感じ取れない。植物が光合成で炭水化物を生み出し成長するように、彼女は《Cathedra》のエネルギーを取り込みながら自己の内部に何かを生み出そうとしているようだ。
これを機にプロジェクト〈ニューマン・シリーズ)をもっと見てみたい。
お能のようで、自分と向き合う良い時間でした。
大きな映像、とても良かったです。1点のくもりもないマインドフルネスなんだなと思いました。改めて。
時間が経つのが忘れてしまった。一瞬一瞬が動作と共にあり時間の感覚を超える経過を感じた。
Barnett Newmanなつかしい。私達は熱狂した世代だけれど今の若い人達はこういうものに対しておかしなことになってきているのでこのようにしっかり向き合ってくれるのはうれしい。
すごい!ニューマンの絵をみたくなりました。
絵の雰囲気を感じながら、また、空気を感じながら立っている…力を得ながら立ち上がっている。立つ事の面白さを感じました。