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Artist Statement

立つ条件
「立ちたさ_」とは1995年より自らの身体を使って行ってきたアートワークで、重力に身をまかせ地面や床に寝転がっている水平状態から立っている垂直状態へ、どう立ちたいのか身体に聞きながら、立とうとする身体の衝動を丁寧に追いながら、できるだけ小さな動きで立っていく行為です。止まったり、もどったりしながら60分近くかかりようやく立った状態に至ります。

常に動いている地球の、しかも曲面である地表にあって、本当の水平や垂直はどこにあるのか? 点であるここに、この瞬間だけにあるのか、ないのか、それは真実なのか……?
身体で測っていく、探っている行為といえるかもしれません。

森の中や雪山、日の出や潮の満ち引きなど自然や様々な環境の中で行為し記録をとる活動と共に、美術家、音楽家などアーティストとのコラボレーションで作品を制作し発表しています。その時その環境によって立っていくプロセスは毎回変化し、その予測や再現は不可能なものです。

2015年より、伊宝田がアーティストとして最も影響を受け、この活動の原点になったともいえる、 アメリカ抽象表現主義の巨匠Barnett Newman の絵画と「立ちたさ_」の行為をもって対峙するというシリーズ“立ちたさBarnett Newman と対峙ツアー”を企画しています。

重力から切り離され垂直のみにある絵画と重力から逃れることのできない現実的な身体や時間との対比、対峙は、私にもう一度この活動の核心を探究する方法を思い起こさせ、絵画空間への新たな解釈を拡げてくれているようです。

立ちたさとは

身体が持っている垂直方向に立とうとする衝動のことを意味する造語。伊宝田自身が名付けました。 動詞「立つ」の連用形である「立ち」に希望の助動詞「たい」が付いた形『立ちたい』、さらに「さ」をつけて名詞化しました。

「立ちたさ」とは・・1

ダンスワークショップでの体験でした。
風通しの良い自由で緩んだからだになったところで、
どう動きたいのか、どんな動きがおきてくるのか、からだに耳をすます・・
そして、様々なエクササイズの中で、
この ”小さな動きで立っていく” というのを体験したとき、
ガシッと何か合点がいく、ストンと納得した気がしました。
それはきっと、”絵画を勉強してきた自分” と ”からだを動かす自分”

うすっぺらい平面なのに、そこにはものすごい世界、空間が存在する絵画。
ものすごい存在なのに、すまし顔でただ垂直状態のみで壁にかかっている。。
現実の重力とは無縁のように見える時さえあります。とてもクールに。

そんな絵画へのあこがれを持ちつつも、わたくしはいつも上手くいかない。
この現実社会においてバタバタとしていてかっこ悪いのだ。

でも、あのエクササイズを体験し、
重かったり、筋肉がきつくなったり、ねじったり、止まってしまったり、
決して美しいとは言えない変なポーズになったりしながら
まっすぐ立った状態に至り、
足の裏が接している床面からすっと自分のからだに垂直線がとおった時、
そしてそのまま静かな状態がおとずれた時、
もしかしたら絵画に近づけたかも! と感じたのでありました。

2011年6月23日

「立ちたさ」とは・・2

寝ている状態から立ちあがって行動するというのは実に日常的な動き。
”からだの立とうとする衝動を丁寧に追っていく”というのはどういう事なのか??
なかなか説明するのはむずかしいのですが、
まず言えるのは、”意識的にからだを動かす”のではないという事。
うごきが起こってきたら少し後から意識がそこにむかっていき、傍観しています。

あ、胸の辺りがうごいてきたぞ!小さくてねじれたうごきだなー 
どっちの方向に進むんだろう、、あ、そっちかーー  ん?
いつのまにか右足が動いてきた、左腕がこんなにあがってるぞ?
うーっ腰骨がピンポイントで床にあたってて痛いなー;;
んー うごきがぱたりと止まってしまった・・次はどこからおきてくるかなー?
待ってみよう。 
おっ!気持ちいい風が吹いてきたぞ? 

たとえば実況するとこんな感じです。

もちろん、毎回毎回立ち方は変わります。
その時その場のこの身体からしか出てこない、たった1つの立ち方 であるという事。
まさにライヴ!!なのです。

2011年7月2日

「立ちたさ」とは・・3

まだ今ほど資料も充実していない頃、何となく、こんな活動をして行きたい…と思い、
人に話したり、コマ撮り写真のベタ焼きを見せたりしていると、
人それぞれに、様々な解釈で感じ取っていただき、たくさんお話を返して下さいました。

リストラされたばかりの方は、
少し丸くなってしゃがみ始めているところの写真を指差し、
”ここが、今のわたし。ショックで戸惑っている自分そのもの。
でもこれから転がりモガキながらもきっと立てる時が来るだろう”と
写真のコマを指で追いながら話して下さいました。

またある人は、人生のような事を話し出しました。
地に足がついていないのに頭を出そうとしてしまったり、
また、ある時はそんな事が必要だったり。
尊敬する先輩はそのバランスがとても良くとれているんだ…

んー こんなに様々な、そして深いお話が返ってくるとは!
これは自分にも想像のつかない何かがこの活動の中にあるのかも!!!
そしてゆっくりと地味に活動が開始されていきました。

参加していた岩下徹ダンスワークショップでは、
この小さな動きで立つエクササイズにサブタイトル、言葉がけがありました。
「初めて立った人のように」 「長い旅をするように」
「木が根から水を吸って枝を伸ばし大木にいたる長い時間のように」
「ひとつの人生を生きるように」

2011年7月16日

「立ちたさ」とは・・4

出身地はどこですか? ときかれると、「東京です」と答えます。
すると、ほとんどの場合、次に「ご両親もですか?」と返されます。

両親は鹿児島と福島で、わたくしは両県のダブルで東京育ち。
江戸っ子の人には「本当に東京の人間っていえるの〜?」的な事を言われたりもします。

じゃーいったい何て答えればいーの?? 
どこで生まれた?どこで育った?どこの血が流れてる?
どんどん分からなくなります。

自分がどこの誰なのか、分からなくなったとしても、
今、ここにあるこの身体はわたしである。 これは信じられます。
だから身体にきいてみる・・
身体から聞こえてくる事は信じられるのです。

同じ身体でも、いわゆる体調の変化もあれば、時間や環境によっても
感じ方はいろいろ変わってきますし、
本当に自分の身体なのか不安になることもあります。

でも、大げさに言うと、 身体が故郷。

立とうとする衝動を身体にきく というのはこんなところからきています。

2011年7月21日