「立ちたさ_」展 2014

コラボレーション作品展
日時
2014年06月06日(金)-06月16日(月) 9,10休み 12:00~19:00 金曜 ~20:00 最終日 ~17:00
ギャラリー
マキイマサルファインアーツ1F/2F
東京都台東区浅草橋1-7-7
アーティスト
中野郁子(絵画)
米山幸助(日本画)
加藤初代(映像)
菊地英二(写真)
生西康典(インスタレーション/パフォーマンス)
URL
マキイマサルファインアーツのHPブログより期間中の展示やパフォーマンスの様子をご覧いただけます
コメント
失い続けてきた。失い続けている。「立つ」というゆうき、力強い。
全体として等身大の感動的な行為?ダンス?それ以外の何か?ーーだと思います。
映像の後半、カメラ正面に少しずつ動いている様子が動いているように見えず、不思議でした。
過去~現在のイメージの中の立ちたい状態から立った状態で "力み" が完全に抜けているのが興味深かったです。
初めて"観"させてもらいました。ホー、武道をやる人間にはちょっとおもしろい。
根源です。「立ちたさ」の先に「立たねば」の生きる意思。志。その意味は「神秘」。空気も、音も、音楽も、身体もいっしょ。

「立ちたさ」 vs 中野郁子 (絵画)

「わたしは重力にはむかわない」
中野郁子 なかのいくこ
キャンパス紙, アクリルガッシュ/A3サイズ 27枚

実力はありながらも、ここ10数年メンタルの病気になってしまいほとんど絵を描いていなかった…という中野さん。現在でも10種類以上の薬を服用し、普段はほとんど外出しないといった生活の中、わたくしは何度も彼女の家に出向き、やりとりをしながら制作しました。資料にしているコマ撮りの写真に関味を持ち、それをキャンパス紙に拡大コピーして、それぞれのポーズから発想した世界観を描いていったようです。まだ稚拙さは残るものの、彼女がこれまで影響を受けた画家や作家、本のエッセンスも垣間見えました。鑑賞者からは“ポップ”だという感想がよく聞かれました。

「立ちたさ」 vs 米山幸助 (日本画)

「立ち上がる」ということ
米山幸助 よねやまこうすけ
麻紙, 墨, 岩絵具, 膠

水槽や檻の中にいる魚、動物に興味がある、と日本画を描きつづけてきている米山さん。お声をかけるとまず「イホダさんを水槽の中に入れてみたい」と言われ、アクリルの水槽の中で行為し、スケッチをしていただきました。それが、制作を進めるうち、立ち上がる”ということに焦点が定まってきて、いつの間にか絵から水槽がきえてしまった…とのこと。旧作の立っているペンギンの絵と並べての展示となりました。

「立ちたさ」 vs 加藤初代 (映像)

「母の家父の歌」
加藤初代 かとうはつよ
映像作品16'41"

現在伊宝田の住まう中央区、隅田川のほとりで立つ行為をし撮影。その前後に、伊宝田の育った環境や現在の生活環境を取材、撮影。それらを編集し映像作品を制作した。音はSEのみ。全て加藤さんの発想。
伊宝田の実家やよく遊んだ場所、現在趣味で所属している合唱団の練習風景、また、展覧会準備期間中に亡くなった伊宝田の父親の亡くなる前後など、数日間行動をともにし撮影を重ねていった。
動画

「立ちたさ」 vs 菊地英二 (写真)

「クラゲと立つ」
「立ちたさ」ペイント - 絵の具と立つ
菊地英二 きくちえいじ
インクジェットプリント A2,A3,A4,キャビネ判, PC, スクリーン静止画送り

2000年の展覧会よりお付合いのある写真家。氏のライフワークであるクラゲの写真撮影とのコラボレーション。
重力あっての立つ行為、重力のない水中のクラゲ、互いに形が響きあったり何故か自然にみえたりして不思議な世界観となった。ペイントの方は伊宝田の要望でこの活動と絵画をつなぐ絵の具を使ったシリーズの第4弾。絵画とは絵の具が重力に逆らって平面上にくっついていくことからはじまることなのか?
立とうとする身体の衝動を追った末に垂直状態になった人の身体と垂直状態のみにある絵画は同じなのか?どうちがうのか?
響いていることは確かだ。と思えた実験であった。

「立ちたさ」 vs 生西康典 (インスタレーション/パフォーマンス)

「瞬きのあいだ、すべての夢はやさしい」
生西康典 いくにしやすのり
サウンドインスタレーション 41'

演出: 生西康典  声の出演:首くくり栲象、嶺川貴子、萌(Moe and ghosts)、飴屋法水
出演: 桒野有香、伊宝田隆子(「立ちたさ」の行為 期間中4 回)
録音/編集/音響: 池田野歩 照明/美術:小駒豪  美術:BAL、ドゥイ
制作:桒野有香  写真撮影: 前澤秀登 Video撮影: 河合宏樹
協力: 印牧雅子、中島あかね、モリオカダイチ、小田嶋裕太、岡野昌代(Picoler)
自由料金制(2000 円より、来場された方の決定した料金)  各公演 定員1名

<公演数 48回>
(うち観客限定1名のもの44回、伊宝田出演の観客定員5~9名のもの4回)
有料70名 (料金 平均3025円)招待3名 合計73 名
※当日キャンセルにより公演中止2回

映像制作を中心に活動してこられた生西さんは最近ではサウンドや照明のみの上映や美術を入れたインスタレーション、毎日空間が変化していく展覧会などをされています。今回は「立ちたさ」から発想した、スクリプト、音響、照明の演出、美術などをもちいてインスタレーション作品を作られました。
たくさんの人が制作に関わり、搬入、セッティングもまる2日間。 ほとんど公演形式で予約を受付け有料となりました。音響、照明は大変デリケートで凝った演出。
期間中4公演ほど、伊宝田の「立ちたさ」の行為が加わりました。
動画
コメント
twitter に数回にわけてツィートされたある観客の感想
生西康典《瞬きの…》最初に再生される桒野有香の声「聞こえますか?」が“聞こえた” ときの驚き。自分の鼻の付け根から頭の中心へ進み、1cm ほど鼻の方へ戻ったあたりに音像が現れる。火のように自分の内側に音が灯り“私” が内側から微かに明るくなる。
その後の暗い道を歩くためのランプとなる。ゆっくりと桒野有香は離れていくが彼女の声は私の内側にある。彼女の存在性は私の傍、何なら私の中にあるのに、彼女の体は遠ざかっていく。けれど普段誰かと話しているとき、このくらいのどうしようもない遠さを心のどこかで感じつつ一緒に居るのが普通…だよな、と思い返す。そんな感覚は決して特別でなく誰しもが多かれ少なかれ感じているのに、互いに知らず多くの人が死んでいくのだろうなと思う。卒業アルバムが配られると自分の顔と、後は好きな人の顔を見に行く程度の興味しか他人に向けていない、でも隣の人も実は同じ、とは知らず人は死んでいく桒野は対面に腰かける。途中で止めたデッサンの線みたいにぼんやりこちらを向いている。私を見ているのか目を開けているのかは分からない。余談だが、これ以前に見た彼女の身体は、体は強いのに体幹にぶれがあり、ときに身体がおどけて見えてしまっていたが、今回はそれが無い。作品の終盤まで桒野はこちらを向いて座っているが、黒沢清ファンの皆さんなら分かってもらえるだろうか…『回路』の最後のシーンの恐怖を思い浮かべずにいられない。『首長竜』のフィロソフィカルゾンビしかり、こちらの存在の危うさをいつ手づかみにされるのか冷々する。そして、しばらくして、飴屋法水の声。
桒野の声しかり鼻の付け根奥で聞こえている声は、もしかして私(聴者)が話しているような音響に設計してあるのかなと飴屋の話す言葉を口パクで追ってみる。するとそうではなく、とても近く、少し上から温かく話しかけられていると感じ直す 飴屋法水の声に涙がぼろぼろこぼれてくる。これは、<父に孕まれる娘>という、現実にはありえないことを体験していると思った。父の腹の中で生まれるのを待っている、生命を肯定された娘、父が娘に語りかけるように振り返る過去と未来を<聞く>ことで娘は父の今を肯定する。私は多分、自分から始まる家族には会えないまま消えていくのだろうけれど、それを心底後悔した。哲学的にではなく、とても具体的に後悔した。
温かくて寂しくて、ずっと泣いていた。 と、そこへ首くくり栲象の声が飛んでくる!首くくり栲象の声は闇にピタッと合う。『燃える人影』で録音とライブという形で共演したときは気づかなかったが、闇を鎮め魚のダツ( 駄津) のように鋭い。声は光と同じ力を持ち、違う現れ方をする。彼の声は闇を闇のままに、光の無い雷のよう。ゼウス、インドラ、ソー、最高神。でも首くくり栲象の声は、神様の声と言うより江戸の私塾の先生みたいだ。教えながらも自分が最も学ぶ主体であり、それゆえ人々の尊敬を集める。身体的に言えば、まさに首が強い人の声。首の強さとまっすぐさに合わせて他の部位が大きさを決めて集まってきたような整いと佇まい。
ぼんやりと床が丸く照らされる。見えない人が現れる。気配ではなく実存、ただ透明なだけ。胎児が心持ち自由に手をほどいたような姿勢で大人の大きさの誰かが床の冷気を愛でるように伏せている。後にそこが伊宝田隆子出演バージョンでの彼女のアクティングゾーンだと知る
まとめ、なし。何ていうか、声の出演者たちに「さようなら」とちゃんと伝えて椅子から立ち上がった。
それとは別に飴屋さんと吉増さん2 人の共演から、私はなぜ声と言葉を使うのか、自分にとって心からの理由を得させてもらった。
沈黙せざるを得ない“あのひと” を前にしても、敢然と黙らない、決して沈黙しないと決めた。
そして、《瞬きのあいだ、すべての夢はやさしい》の間じゅう、しごく勝手な話ですが、父の腹の中で、今度は飴屋さんに生を許され生きることのこわばりをほどいてもらったように、勝手に大げさに思いました。幸せな勘違い。思い出すと泣けてきた。温かくて寂しい

活動報告「ミュージサーカスで立つ!」

資料映像 ダイジェスト版 15分32秒  DVD プレーヤーにてリピート再生 と 足立氏によるレポート
ジョン・ケージ「ミュージサーカス」芸術監督:足立智美 会場/東京中央卸売市場足立市場
アートアクセスあだち 音まち千住の縁 2012年11月に参加